2009年06月29日

物理学における量子力学の位置づけ

量子力学を基にして、それを手段として用いる物理学分野全般のことを、量子物理学 (Quantum physics) と言うことがある。これには物性物理学のほとんどの領域、素粒子物理学、核物理学など広範な分野が属する。また、工学的な応用研究を指して、量子工学 (Quantum engineering) と呼ぶ場合がある。材料関連、ナノテクノロジー、電子デバイス、半導体、超伝導素材の応用研究など、広範な分野が属する。量子物理学や量子工学という言葉はいずれもかなり広範囲の領域を含むため、現在では大学の学科の名称などにしか用いられていない。

なお、古典物理学の対義語として、現代物理学という言葉を使う場合は、量子力学と相対性理論の2つを指す。ニュートンの万有引力を古典力学における重力の記述とするならば、現代物理学的な重力の記述は一般相対性理論であるということができる。量子力学と相対性理論を合わせた理論(量子重力理論)の記述が望まれるが、いまだ完成されていない。

前期量子論(ぜんきりょうしろん、Old quantum theory)とは古典力学(統計力学)の時代から、ハイゼンベルク、シュレーディンガー等による本格的な量子力学の構築が始まるまで(1920年代中頃)の、過渡期に現れた量子効果に関しての一連の理論をいう。

量子力学成立以前の物理学において、物体の運動はニュートンの運動方程式によって説明されていた。18世紀に産業革命がはじまるとニュートン力学はただちに機械工学に応用されはじめた。毛織物などの軽工業、鉱山での採掘などで用いるために蒸気機関が発明されると、熱機関の改良にともなって熱力学が発展した。やがて、ニュートン力学によって熱力学を説明する試みによって初期の統計力学が構築された。

2009年06月12日

将棋は二人零和有限確定完全情報ゲームに分類

将棋は二人零和有限確定完全情報ゲームに分類されるため、将棋を指すプログラムを作る、いわゆるコンピュータ将棋は、人工知能の一分野として開発が進められた。チェスやオセロ(リバーシ)などのボードゲームでも同様の開発が進んでおり、日本国内だけの普及にとどまっている将棋はむしろ後発であった。「人間が考えるように考える」という人工知能としての方法論はすぐに行き詰まる。人間の持つ大局観をコンピュータが理解できる情報に落とし込むことが非常に困難であったためである。

コンピュータ将棋の開発が始まったのは1970年代中ごろと言われている。当時、人工知能の研究をしていた早稲田大学の瀧澤武信教授(現コンピュータ将棋協会会長)をメインプログラマーとするプロジェクトチームによって、1974年11月から開発が進められ、翌年5月に完成したものが、おそらくは世界で最初のコンピュータ将棋である(当時の棋力は20級程度)[1]。コンピュータ将棋のゲームソフトが市場に出回ったのは1980年代のことである。当時はハードウェアの性能も低く、評価関数も簡単なものであったため、人間に比べて非常に弱いプログラムであった(アマチュアの級位者レベル以下であったことは間違いない)。

1980年代後半には、多数のコンピュータ将棋プログラムが誕生しており、ファミリーコンピュータのゲームソフトとしてもコンピュータ将棋が製品化されるようになった。結果、「どのプログラムが最も強いのか」という興味を惹くこととなった。
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将棋ソフトのプログラミングに興味を持つ有志らが集まり、1986年に『コンピュータ将棋プログラム』の会が発足。翌年、『コンピュータ将棋協会』に改名された。彼らが主体となり、1990年からは将棋ソフトの実力向上を図ることを目的に、コンピュータ将棋選手権が年1回開催されるようになった[2]。記念すべき第1回大会は1990年12月2日、将棋会館で行われた。参加ソフト数は6つ、優勝したのは『永世名人』。第11回からは「世界」を冠するようになった(従来から世界大会であった)。海外の実力あるソフトには、イギリスのSHOTEST、北朝鮮のKCC将棋 等がある。

毎年5月上旬のゴールデンウィーク期間中に開催されており、毎回約40種のプログラムが参加している。

世界コンピュータ将棋選手権の大会ルール[3]によると、対戦は、対戦サーバを介して行うこととされ、対戦サーバが利用できない場合、CSAの規定するRS-232Cプロトコルに則ったRS-232Cによる通信や手入力で対戦が行われる。持ち時間は25分とされている。

第16回以降の大会では、開催期間中インターネット上で棋譜のライブ中継が行われている。

2009年06月07日

槌、鎚(つち)とは物を打ち付けたり

槌、鎚(つち)とは物を打ち付けたり、潰したりする道具。手で持つ柄の部分とそれよりは重い頭部からなる。使い方は柄を持って振りその慣性で頭部を対象物にたたきつけて力を加える。槌は、英語からのハンマーという言葉もよく使用される。

また大工やイベント設営に携わる人間など、仕事の道具として金槌や木槌などがある。地域により呼び名が違うが、槌を使っている者の間では殴りと呼べば通用する。ただし、正確には玄翁、ハンマー、なぐりは、それぞれ指す物が異なる。

頭部が金属製の槌で代表的な用途は釘打ちである。用途により多くの種類があり個別に名前が付いている場合もある。頭部の材質は炭素工具鋼 (S55C) が多いが銅・銅ベリリウム合金・鉛・ステンレスなど各種存在する。
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玄翁(玄能、げんのう)
頭部の片側が平面で通常に釘を打ち、反対側はやや凸になった曲面になっており木に傷を付ないよう最後の打ち込みに用いる。この凸面側は「木殺し」と呼ばれる。名称は槌で殺生石を退治した玄翁和尚(源翁心昭)に由来するとも言われている。
片手ハンマー(ボールピーンハンマー、Ball peen hammer)
形態は上記と同様で金属加工用である。片手ハンマーのサイズは頭部の重量によって呼ばれていて、ポンド単位で1-1/2、2、2-1/2、3などがあり、1ポンド半が標準的なサイズである。
大ハンマー (Sledgehammer)
大きな重い部品を挿入したり抜き出したりするのに使う。頭部は両面とも平たいものが多く、2から20ポンドほどで、両手で持って振る。日本で言う「掛け矢」。
テストハンマー
機械の部品を叩き、反響でそれがきちんと固定されているかどうかを調べる道具。頭部は一方が尖っていて1/4から3/4ポンド。柄が頭部に比して長いのが特徴である。
板金ハンマー
板金作業に用いられるハンマー。鉄板を叩いて自在に曲げられるよう、様々な形状のものがある。
クローハンマー (Claw hammer)
頭部の片側が釘抜きになっているハンマー。クロウハンマー・ネイルハンマーとも呼ばれる。釘抜きを兼用できることから一般家庭に普及し、日曜大工で単に金槌という場合、これを指す事も多い。
スライディングハンマー (Sliding hammer)
対象を「叩く」「押し込む」のではなく、「引っ張り出す」用途のハンマー。筒状のウェイトに一本の棒が差し込まれており、片方がフック、もう片方がウェイトが抜けないようにストッパーとなっている。フックを引っ張り出したいものにかけ、ウェイトをストッパーに叩きつけることで引き出す力を得る。

2009年04月24日

チェロキー

チェロキー (チェロキー語: ????? ah-ni-yv-wi-ya。英語: Cherokee) はアメリカ州の先住民族。2000年の総人口は約32万人。 16世紀、ヨーロッパ人が入植しはじめた頃には、北米大陸の南東部に住んでいた。 文明化五部族 (白人の文明を受け入れ、白人社会の仕組み等を取り入れようとした、チェロキー、チカソー、クリーク、チョクトー、セミノール) の一つでもある。現在、最大の居留地チェロキー・ネイション(人口約25万人)はオクラホマ州南東部オザーク高原にあり、ターレクァー(en)を本部とする。

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チェロキーの国章
チェロキー・ネイションの旗チェロキー (チェロキー語: ah-ni-yv-wi-ya。英語: Cherokee) はアメリカ州の先住民族。2000年の総人口は約32万人。 16世紀、ヨーロッパ人が入植しはじめた頃には、北米大陸の南東部に住んでいた。 文明化五部族 (白人の文明を受け入れ、白人社会の仕組み等を取り入れようとした、チェロキー、チカソー、クリーク、チョクトー、セミノール) の一つでもある。現在、最大の居留地チェロキー・ネイション(人口約25万人)はオクラホマ州南東部オザーク高原にあり、ターレクァー(en)を本部とする。

チェロキー語で、チェロキー族を指す言葉は「これらはすべての人間である」を意味するアニユァウィヨァ (?????) である。英語の「Cherokee」の語源はチョクトー族が交易に用いた単語で、「山(または洞窟)に住むもの」を意味する「Cha-La-Kee」、またはクリーク族の言葉で「判り難い言葉を話す人たち」の意とされる。
チェロキー語は南方イロコイ語族に属する。 1821年にシクウォイアによって85の音節文字からなるチェロキー文字が開発された。 使いやすく覚えやすい文字ですぐに習得できるため急速に普及した。

18世紀のチェロキー族は、イギリスやアメリカとの間に、自分達の土地を守るための戦いの連続であった(チカマウガ戦争を参照)。1794年にアメリカ合衆国との間に休戦条約を結んだ後は、文明化の道を歩んだ。

1830年代、ジョージア州で起きたゴールドラッシュによりチェロキーはミシシッピ川の西のインディアン準州(現オクラホマ州)に強制移住を余儀なくされる。8千人近い犠牲を出したその移住は涙の旅路と呼ばれている。ノースカロライナ州西部のチェロキー族の一部は、白人の助けを借り、また山深く隠れて強制移住を免れ、現在の東部チェロキー族(en)(人口約1万人)の祖となった。チェロキー族がいなくなったジョージア州など南部の広大な土地は、後に一大綿花産地に変貌する。

2009年04月06日

ハープ

ハープ (英:harp) は、西洋音楽で用いられる弦鳴楽器。弦鳴楽器の5分類の内ハープ属に属する。楽器用法としては弦楽器に属し、弓を使わずにもっぱらはじいて音を出すため、撥弦楽器に分類される。なお、オーケストラにおいては、弦楽器の主体となるヴァイオリン属の楽器と、音色も奏法も大きく異なるため、弦楽器群の楽器のひとつとしてではなく、挿入楽器として扱われる。日本語では竪琴(たてごと)と呼ばれる楽器群に含まれる。

共鳴胴の両端に2本の棹を立て、2本の先を結ぶ。棹のうちの曲線状になった方と共鳴胴との間に平行に弦を並べて張る。弦の数は数十本に及ぶ。この弦を指で弾いて演奏する。最も古い楽器の一つで、同種の楽器は世界各地に分布している。アイリッシュ・ハープ、アルパがその例である。ワーグナー作曲、楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」において、ベックメッサー・ハープが使われる。これは小型のハープであり、古楽器に近い。なお、ブルースハープは、ハーモニカの俗称でハープとの直接の関連はない。

ハープの起源は狩人の弓ではないかと考えられている。最も古いハープの記録は紀元前4000年のエジプトと紀元前3000年のメソポタミアのものではないかと言われている。 古代の叙事詩やエジプトの壁画に現れ、世界中の多くの音楽文化で発展し独自の展開を遂げた。聖書にもハープは登場し、ダビデ王が最も著名なミュージシャンであるが、実際にはその「ハープ」はkinnorと呼ばれる、十弦の一種のリラであった。 レバーハープlever harpは演奏中にキーチェンジを可能にするもので、17世紀の後半に生まれた。これが発展し、近代的なコンサートハープが生まれた。

現代の西洋音楽の独奏やオーケストラなどの合奏で広く用いられているハープは、ダブル・アクション・ペダル・ハープである。これは、主に47本の弦を変ハ長調全音階で張り(半音低く調律された白鍵のみのピアノのイメージ)、7本のペダルを足で操作することにより、各オクターブのハ、ニ、ホ、ヘ、ト、イ、ロそれぞれの弦を同時に半音上げたり、全音上げたりできるようになっているハープである。全音階ハープを転調などに対応できるようにするため、楽器職人セバスチャン・エラール等により作られた。この仕組みにより、様々な調を演奏することができるが(調によっては異名同音的に)、どんなに熟練してもペダルの操作を全くの瞬時に行うことは不可能であるため、オーケストラなどでは2人で演奏することによって、ペダル操作の不完全さを補うことがある。また、ダブル・アクション・ペダル・ハープに代わる楽器として、半音ごとに弦が張られたクロマティック・ハープというものも19世紀に作られたが、結局は廃れてしまった。

音域は6オクターブ半を持ち、最高音は中央ハの3オクターブ半上の変ト(ペダルで嬰トになる)、最低音は中央ハの3オクターブ下の変ハである。いちばん高音から0オクターブ(2音のみ)、1オクターブ・・・7オクターブ(3弦のみ)と数える。弦には識別のために色が付けられており、各オクターブのハ(C)の音が赤、へ(F)の音が青(黒)となっている。
ハープ単独による楽曲 [編集]
C・P・E・バッハ - ハープソナタ ト長調
ボクサ - モーツァルトの主題による変奏曲
サン=サーンス - 幻想曲 Op.95
フォーレ - 即興曲 変ニ長調 Op.86、塔の中の王妃 Op.110
カプレ - 2つの嬉遊曲
タイユフェール - ハープ・ソナタ
ヒンデミット - ハープ・ソナタ
ブリテン - ハープのための組曲 Op.83
ダマーズ - 2台のハープのためのソナチネ

室内楽曲(ハープと他の楽器による) [編集]
サン=サーンス - 幻想曲 Op.124(ヴァイオリンとハープ)
ドビュッシー - フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ
ラヴェル - 序奏とアレグロ
ヴィラ=ロボス - 神秘的な六重奏曲
イベール - ヴァイオリン、チェロ、ハープのための三重奏曲

協奏曲 [編集]
ハープ協奏曲の項目も参照。

ヘンデル - ハープ協奏曲 変ロ長調 Op.4-6
ディッタースドルフ - ハープ協奏曲 イ長調
クルムフォルツ - ハープ協奏曲(全6曲)
モーツァルト - フルートとハープのための協奏曲 ハ長調 K.299 (297c)
ボアエルデュー - ハープ協奏曲 ハ長調
ボクサ - ハープ協奏曲
ライネッケ - ハープ協奏曲 ホ短調 Op.182
ブルッフ - スコットランド幻想曲 変ホ長調 Op.46(ハープに第2の独奏者に等しい役割が与えられている)
ドビュッシー - 神聖な舞曲と世俗的な舞曲
ピエルネ - ハープと管弦楽のためのコンチェルトシュテュック Op.39
グリエール - ハープ協奏曲 変ホ長調 Op.74
ピツェッティ - ハープ協奏曲 変ホ長調
ヴィラ=ロボス - ハープ協奏曲
タイユフェール - コンチェルティーノ
ロドリーゴ - セレナータ協奏曲
ジョリヴェ - ハープと室内管弦楽のための協奏曲
フランセ - 2台のハープと弦楽のための協奏曲

フィルター ダミー ドライブイ とっこ クーガー ミズム ソリッド カカオ ゲルサンド ザ・サボイ ソケット ジュート デイオ シェークス 澪標恋 フォーラ フーディア 自由の幻想 スペアリブ オーバー スペイン ピーエル スポッタ サチュ レンツェ リベラル インダー かえる ロウバ パイロ メーン フォックス ブラック シロヤ ブロー パトロー フラダンス タイボ ドジェ ひらない ちょうらく ニワウメ テディ コールド マナイ ザック ローブロ デーション ソール フライ

2009年03月22日

模型製作に用いる工具

模型製作にはさまざまな工具を用いる。もちろん、全てを利用しなくても製作は可能であるが、基本中の基本としてプラモデル用のニッパーはあったほうが望ましい。
はにー ファイバ ていん| ジェス オフス たけざお おはじき 一等星 アップ ファー イコノロジー プロテイ ローカル シンプ けん蔵 フリース メモリー はこだて マルチ パルプ シェーバー トライアン ミンク ブティッ 翠の月 ゲスロ コピペ シエラ ネガティブ ずいき ゼンマイ きない トロッ デニール プロデビー ハネム オフタ リヤカー ドーミー カーウォ ボーイ 三和音 ゾル ぎぼう 大逆転 小さい魔女 ソダラ 夢列車 ゴスロ マジッ

ニッパー
ランナーから部品を切り離すのに用いる。金属用ニッパーでは切断面が潰れたようになるため、プラモデル専用のニッパーが望ましい。家庭にある爪切りで代用したという事例をよく耳にするが、人間の爪より硬いプラスチックに用いると殆どの場合、直ぐに爪切りの歯が使用に耐え切れず駄目になってしまっている。模型用の歯の薄い製品は強く握ると歯が痛むので丁寧に扱うと良い。真鍮線やエッチングパーツなど金属を切断する場合は刃こぼれを防ぐため、金属用のニッパーを用いる。又、一部ガンプラは、ニッパーを使用しなくても簡単にランナーから部品を切り離せる物がある。
接着剤(セメント)
部品同士を接着するために用いる。材料を溶かし、溶剤が蒸発して硬化することで接着される。以前は接着剤が必要なプラモデルには付属している場合が多かったが、現在では一部の外国製キットを除いて付属しておらず、別途購入して置く必要がある。樹脂分を含む「トロトロ型(貼り合せ型)」と溶剤分だけの「サラサラ型(流し込み型)」とに大別され、また、後者は石油系溶剤を含まないリモネンを主成分にした物も増えており、有機溶剤の匂いがきつくないなどの利点があるため、使用するモデラーも増えてきている。また、最近のガンプラ等のプラモデルでは接着剤を使用しなくても製作可能なスナップフィット・キットがほとんどであるが、プロモデラーの多くはパーツを組み合わせたときに出来る”合わせ目”を消すために用いる。
瞬間接着剤
「シアノアクリレート」という特殊な樹脂が主成分の接着剤であり、空気中などの水分と急速に反応し、数秒から数十秒で硬化する。金属との接着のように、溶剤に侵されない材質や、異なる材質同士を接着する場合に用いられる。近年はプラモデルでも再現性向上のためにエッチングパーツなどの異素材部品を含む物が多く、製作の必需品となっている。ただし透明パーツなどに使ったり近くにおいてあると、接着剤の成分で"曇って"しまうので使用はできない。
ピンセット
小さい部品を掴んだり、手の脂が付着するのをさけるため、シールやデカール等を貼る際に用いる。
カッター(Pカッター、けがき針等を含む)
部品の切断・加工やモールドを彫刻するためなどに用いる。使用する際はカッター台を用いたほうがよい。
金属やすり、紙やすり
部品の表面を削ったり整えたりするために用いる。
パテ
部品のへこみなどを埋めるために用いる。また、プラモデルの外形を一部作り変える際にも用いられる。硬化した後にカッターなどで切削・成形する事が可能である。プラモデル製作で使用されるのはラッカーパテ、エポキシパテ、ポリパテ(ポリエステルパテ)の3種類が多い。最近では可視光線硬化型パテや瞬間接着パテも発売されている。これは硬化までの時間が短く用途によっては非常に便利である。
ラッカーパテは、文字通りラッカー系溶剤を含み、溶剤が揮発することで硬化する。この際、溶剤が揮発した分の体積が減少する(肉痩せ、あるいはヒケという)。従って分厚く盛る場合には向かず、傷や部品のヒケの修正などに用いられることが多い。プラパテと呼ばれることもある。
エポキシパテは、粘土状の2種類の基剤をほぼ同量混和して用いる。数十分から数時間で硬化する。ヒケはあまり起きない。種類によっては完全に固まるとかなり硬くなるので、適度な硬さの段階で切削すると加工性がよい。2種類のパテが均一になるよう混ぜ合わせるのが使用上の注意である。模型用のほかに木工用や金属用のものが市販されている。エポキシパテの成分はエポキシ樹脂項目を参照。皮膚が弱い場合には手袋必須である。
ポリパテは、主剤に硬化剤を練り込んで使用する。硬化時間は硬化剤の割合や気温によって変化するが、数分から数十分と早い。臭気が強いので換気必須である。
可視光線硬化パテ(光硬化パテ)は、太陽光や蛍光灯の至近距離に近づけると短時間で硬化する。硬化が早く、作業の効率化に大いに役立つが、場合によっては盛ってから1分とたたないうちに固まってしまうため、手早い作業か必要。現在最も高性能なパテといえるが、値段も通常のパテよりも高い。
瞬間接着パテは、液剤と粉末を混合すると数秒?数十秒で硬化する物で、作業が早い反面、物性的に脆い。
ピンバイス
細いドリル刃(0.1mm?3mm程度)等の小径の棒を摑むためのグリップ。もっぱら部品に穴を開ける際、ドリルを回すために使う。
プラモデル用(ホビー用)のこぎり・レザーソー・糸のこぎり
部品を切断するために用いる。改造する際に使われることが多い。
塗料
プラモデルを塗装するために用いる。ラッカー系、アクリル系、エナメル系等いくつか種類がある。塗料はその特質を知って使いこなすことが重要である。
ラッカー(揮発アクリル)系塗料は、日本で多用されており、強固な塗膜が形成できる利点がある。車用などの溶剤の強い物は樹脂を溶かすので模型用以外の製品を利用する場合などは注意。溶剤の臭いや毒性が強く、長時間吸入すると中毒を起こす。また揮発性、引火性が強いことにも注意。
水性アクリル系塗料は、水で希釈することも可能だが乾燥時間が増し光沢面に塗れなくなることもあるので、プラモデルに塗る場合は専用溶剤(アルコール系)で希釈することが多い。臭いや毒性はラッカー系より抑えられている。引火性も低く安全性が高いものの、塗膜はラッカー系より弱く、上からラッカー系塗料を塗ると侵される。
エナメル系塗料は、専用の溶剤(工業ガソリン系)で希釈する。上記2種類の塗料と異なり、塗装後空気に触れることで化学反応が起き固化する。エナメル系塗料は乾燥が遅く筆塗りでもムラができにくい利点がある。乾燥後の塗膜は光沢に優れる。多湿な日本の気候には不向きだが欧米では一般的な模型用塗料として用いられている。また他種の塗料の塗膜を侵さない事からウェザリングに用いられる事が多い。ただし下地がつや消しの場合、顔料が染み付いて取れなくなることがある。塩ビ(ソフトビニール製キットやポリキャップなど)は侵され劣化するので避けた方がよい。最近、紫外線をカットするクリアー塗料の上に塗布した場合に白化する現象が話題となった。
他に、絵画用のアクリル絵具や油絵具、パステル、コピックなども用いられる。
エアブラシ
以前は絵画用の高価な物が多く一般的ではなかったが、近年は模型メーカーから比較的低価格の製品が発売される様になった。
マスキングテープ
塗装の際、塗り分けを行うために色をのせない部分を覆って色が付かないようにする粘着剤つきの紙テープ。仮組みなどの際に粘着力の低いテープとしても用いる。また、塗布することで柔軟なマスキング膜を形成する液状のマスキングゾルという商品もある。
サーフェイサー
ヤスリがけで付いた表面の微細な傷などを埋める為や塗料の食い付きを良くする為に使われる。主に塗装の前段階として用いる。筆塗りの他、缶スプレーやエアブラシを用いて吹きつけて使用する。市販されている物の主な成分は溶液に溶いたラッカー系パテ(溶きパテ)とほぼ同様の物である。傷やヘコミなどを見分けやすいグレー色が一般的だが、フィギュアなど用にホワイトや肌色の製品もある。細かい彫刻が潰れることを嫌い、使用しないモデラーもいる。

2009年03月07日

クロアタン (護衛空母)

クロアタン(USS Croatan, AVG/ACV/CVE-25)は、アメリカ海軍の護衛空母。ボーグ級航空母艦の1隻。

艦歴
クロアタン(は海事委任契約の下ワシントン州タコマのシアトル-タコマ造船で1942年4月15日に起工した。1942年8月1日にJ・S・ラッセル夫人によって進水し、1943年4月28日にJ・B・ライアン艦長の指揮下就役した。

1943年7月2日にクロアタンはサンディエゴを出航し、7月19日にノーフォークに到着する。対潜攻撃グループの核として8月5日に出航し、大西洋での船団護衛に従事した。クロアタンの艦載機部隊は二度の対潜水艦戦闘を行い、9月5日には夜間飛行作戦を開始した。クロアタンは9月22日にノーフォークに帰還した。

1943年10月17日から12月29日までクロアタンはカサブランカへの二度の航空機輸送任務を行う。その後1944年1月14日から2月27日まで対潜水艦哨戒任務を行った後、アナポリスで海軍調査研究所の試験に参加する。3月24日から5月11日までクロアタンは対潜水艦巡航で大きな戦果を挙げた。4月7日に艦載機部隊は北緯40°18′、西経62°22′の海域で駆逐艦シャンプリン(USS Champlin, DD-601)、護衛駆逐艦ヒューズ(USS Huse, DE-145)と共同で U-856 を撃沈した。4月25日の夜から4月26日の朝にかけて、北緯17°54′、西経38°05′の海域で、4隻の護衛と共同して U-488 を撃沈した。また6月2日から7月22日までの巡航においても、6月10日に艦載機部隊と護衛駆逐艦フロスト(USS Frost, DE-144)、ヒューズ、インチ(USS Inch, DE-146)が U-490 を攻撃し、翌日浮上させることに成功した。艦長を含む60名が救助され、U-490 は北緯42°47′、西経40°08′で沈められた。7月3日には艦載機部隊とフロスト、インチが U-154 を北緯34°00′、西経19°30′の海域で撃沈している。

海軍調査研究所で短期間のオーバーホールとレーダー試験を行った後、クロアタンは1944年8月20日に出航する。9月15日にハリケーンで破壊されたウォリントン(USS Warrington, DD-383)の生存者を救助する。10月1日にノーフォークに帰還し、 グアンタナモ湾とバーミューダで対潜訓練を行い、その後東方高速任務群に上空護衛を行った後、1945年2月4日にニューヨークに帰還する。翌月はパイロット認証訓練に従事し、3月25日にノーフォークを出航しドイツ潜水艦に対する護衛任務に就く。4月16日、同行の駆逐艦フロストとスタントン(USS Stanton, DE-247)は U-880 と U-1235 を北緯47°53′、西経30°26′の海域で撃沈する。クロアタンはアージェンティア経由でニューヨークに5月14日到着しオーバーホールに入る。
ババロア フィラン マッチン ビジネス ハワイ ヒューズ ダグアウト マルチ プレムハブ スノーフ 流星群 にんきょう ミステ ぶんぶん ブラテ ハイヒール シングル ラバト ブルンジ バックオ ナッソー トラン ラムサー 鈴蘭 セラセラ つるみ マルセイ コピーイノ ゲーター ブラッド トパイ バーバレ パブリ レベニュ フォーム メタ いささや ハイウエイ ダルトン ハリアー ビーコン ガター サイドカー あぼがど ジンセン スプリング ユリノ ジャーゴン アニムス ビッドレ

1945年9月15日から11月3日までクロアタンはクォンセット・ポイントでパイロット認証訓練を行い、11月23日にノーフォークを出航、フランスのルアーブルから二度の帰還兵輸送任務を行う。1946年5月20日にクロアタンはノーフォークで予備役となり、1958年6月16日に民間人の乗員が乗り組み就役することなく輸送任務を開始する。1963年8月にF-104 スターファイター23機をノルウェー空軍第331航空団に運搬する。1964年10月から1965年5月までNASAの実験船として使用され、1970年9月15日に除籍、1971年にスクラップとして廃棄された。

2009年02月18日

Lamento -BEYOND THE VOID-

『虚ろ』と呼ばれる原因不明の現象に蝕まれつつあった火楼の村は、重度の食糧難に陥っていた。森から拒絶された猫たちは行き場を失い、飢えをしのぐために死体はおろか生きた同族さえ生贄として喰らうという手段をとっていた。
明日は我が身と怯える日々が続くなか、村の体制を苦々しく思いながらで暮らすコノエの身に変化が現れる。禍々しい文様が浮かびあがった四肢、黒く染まった耳と尻尾。それらは、古くから不吉の象徴として言い伝えられていた呪いの証だった。
逼迫した村では生きていけない身となったコノエは、身体を元に戻す手段を求めて旅に出るのだった。
大和撫子 きゃく サバンナ スキニー 情熱支援 ジャング ナリー ハンドカ ヒットパレ シリング ファンキー サーモス カペラ サラリー ニッケ フリフリ シュプネ ルサン レセプト パング テーション ジェロ スイス イライン おりあお パラシ バーゼル 夢街道 桜雨1押 ノート ワスレ どんしゅう プリン ジャスラック レア日本 永遠偉 白い街 パイロット ブイディ ストーブ チャウダ トカラ 管弦 アビブ スター スティック オモ モカ モンタナ ほうすう

コノエ (声優:波多野和俊)
主人公。「虚ろ」の被害が進む火楼の村で暮らしていたが、突然身体に現れた呪いの証から逃れる方法を探して旅に出る。口数は少ないが負けん気が強い。自分の尾が鉤尻尾であることを密かに気にしている。方向音痴で火が苦手。自分の意思とは関係なく他の猫の心に同調、あるいは共感してしまう能力を持つ。身長は173cm。
ライ (声優:森川智之)
片目に眼帯をした銀髪の猫。2本の剣を操る賞金稼ぎで相当の手練れ。態度は尊大で何かにつけコノエを「馬鹿猫」呼ばわりする。常に冷静で自分にも他人にも厳しいが意外にも面倒見がいい。
アサト (声優:春野風)
吉良の戦士。褐色の肌に黒い耳と尾を持つ。閉鎖された部族の中で疎まれながら育ったため無口で不器用。だが純粋な一面もあり、大切だと感じたものに対しては一途に慕おうとする。
バルド (声優:舞幸運)
藍閃にある宿屋の主人。いい加減な振る舞いが多くマイペースな猫。思わせぶりな言動でコノエたちをからかうなど大人の余裕を窺わせるが、時おり年長者らしく助言を与えることもある。
ラゼル (声優:犬野忠輔)
「憤怒」を司る悪魔。炎を操る。司る感情とは裏腹に穏やかで何事にも動じない。
カルツ (声優:小次郎)
「悲哀」を司る悪魔。氷を操る。表情には常に憂いをたたえ、無口で孤独を好む。
ヴェルグ (声優:オイリーはな)
「快楽」を司る悪魔。雷を操る。気性が荒く短気でひねくれ者。リビカを見下す言動が多い。
フラウド (声優:笹沼晃)
「喜悦」を司る悪魔。風を操る。態度はいたって友好的だが、本心を読み取らせない不気味さもあわせ持つ。
歌うたい(シュイ) (声優:中原茂)
楽器を携え、歌をうたいながら各地を放浪する猫。幾度となくコノエの前に現れる謎めいた存在。
カガリ (声優:葉月ミカ)
褐色の肌に白い耳と尾を持つ吉良の猫で、村で唯一の雌。勝気な姉御肌でアサトのことを肉親のように見守る。
トキノ (声優:木島宇太)
藍閃から火楼にやってくる行商猫。屈託がなくおっとりした性格。コノエとは年齢が近いため仲が良い。
フィリ (声優:桜塚瞬一)
度々コノエたちの前に姿を現す少年。道化師のようなおどけた態度や物言いで挑発してくる。リビカや悪魔とは異質の存在。
キル (声優:保村真)
コノエをつけ狙う双子の片割れ。闘牙として戦う。
ウル (声優:中村悠一)
コノエをつけ狙う双子の片割れ。賛牙。自分の身を傷つけ、その痛みの感覚を旋律として発するというおぞましい歌い方をする。
リークス (声優:片岡大二郎)
祇沙で古くから伝えられている闇の魔術師。その存在から風貌にいたるまで全てが謎に包まれている猫。

世界観
物語は祇沙と呼ばれる島国を舞台に進む。島には街や集落が点在し、耳と尻尾を有する人型の生き物・リビカが数多く生活している。

祇沙(しさ)
物語の舞台となる島国。祇沙には太陽がなく、「陽の月」と「陰の月」と呼ばれるふたつの月が昼夜を交互にまわっている。
藍閃(らんせん)
祇沙で最も栄えている街。周辺の海に群生する巨大な珊瑚礁のせいで外交が限られているため、独自の発展を遂げた。春と冬に大きな祭りが開催される。祇沙最大の図書館を有していることでも有名。
火楼(かろう)
祇沙の西南端に位置する小さな集落。少数の民から形成される戦闘民族で、雄猫は幼い頃から戦闘技術を叩き込まれて育つ。
幽刻の谷(ゆうこくのたに)
迷いの森の中にあり、地面から立ち昇る原因不明の瘴気で淀んだ場所。滅多に生き物が寄りつかない。
吉良(きら)
幽刻の谷の奥にある村。人目を避けるよう暮らす部族で、猫たちの住みかは樹上に構えられている。伝統を重んじ、純粋な血筋を守り抜くため厳しい掟によって律されている。
刹羅(せつら)
大型種の血筋で好戦的な猫が多い。

用語
リビカ
猫耳と尻尾を持つ種族で体中を視認できない程の細やかな毛に覆われている。先祖は猫だったと言われており、毛づくろいをする、マタタビに酔う、じゃらしやネズミに我を忘れて反応してしまうなど個体差はあるものの猫の習性が色濃く残っている。尾は急所。「リビカ」の種族名は猫の姿をした女神リビカから来ている。
二つ杖
世界を作ったとされる伝説上の存在。女神リビカを妻に娶っていたという言い伝えがある。二つ杖に関する資料は皆無に近いが、その正体は人間であると思われる。
悪魔
頭に角を生やし硬く艶やかな尾を持つ。祇沙では邪悪で異質な存在とされている。感情を司り、彼らにとって感情の昂ぶりが強い魂は極上の食糧である。
冥戯
邪神を信仰する魔道の一族。吉良との間に深い溝があり、敵対している。
虚ろ
祇沙を徐々に侵す不可解な現象。植物から動物、昆虫にいたるまで、虚ろに侵された物質に触れると痛みが走り、時には刃物で切られたように傷つく。食物にしていた動植物も口にできなくなるため、飢えに苦しむ集落は少なくない。
失躯(しっく)
祇沙で流行する奇病。ある日突然体の一部が消え、苦痛を伴う高熱が出る。雌猫は発症率と死亡率が高い。
闘牙と賛牙
闘牙とは戦闘能力のある猫全般を指し、賛牙は特殊な「歌」で闘牙を支援することを役割としている。闘牙と賛牙の組み合わせは「つがい」と呼ばれ、賛牙の支援を受けた闘牙は強大な力を得ることができる。賛牙は生まれつきの素質を持ち、かつ能力が開花したものだけがなれるものであり、闘牙を支援する際は実際に声を出して歌うもの、楽器を使用するもの、体から旋律を発するもの等、様々である。

2009年01月28日

賤ヶ岳の戦い

賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)とは天正11年(1583年)、近江国伊香郡(現:滋賀県伊香郡)の賤ヶ岳附近で行われた羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と柴田勝家との戦いである。織田勢力を二分する激しい戦いとなり、秀吉はこの戦いに勝利することによって織田信長の作り上げた権力と体制の継承者となることを決定づけた。
トロラン マケド サイフォ 支援ハム ファー キール ジェット レーダー ロールオ デイゲ モール かでな ルーレット タラソテ アーク コート ユークリッ さがほのか ピュービッ チリメン マーク リスク シルク カーゴ 未来の地図 ほこた クローズ ナチズ リバイ スベタパ イヌホ 一所懸命 リズミカル ジンマオ 星空の ロマンチスト ヒメジョオ ケジャン フェースラ デコサ タート ニンフ パラフェニ 浮草の宿 プレイボ カミーン チボール かせい アイト ユキモチ

天正10年6月2日(1582年6月21日)、織田信長とその嫡男で当主の織田信忠が本能寺の変で重臣の明智光秀によって殺害されると、その後間もない山崎の戦いで光秀を倒した羽柴秀吉が信長旧臣中で大きな力を持つに至った。6月27日(7月16日)、当主を失った織田氏の後継者を決定する会議が清洲城で開かれ(清洲会議)、信長の三男・織田信孝を推す柴田勝家と織田信忠の子である三法師(のちの織田秀信)を推す羽柴秀吉との間で激しく対立した。結果的には同席した丹羽長秀・池田恒興らが三法師擁立に賛成したためにこの後継者問題はひとまず決定した。さらに秀吉は翌月に自らの主催で大規模な信長の葬儀を執り行い、8月には京都奉行として自らの一門筋である浅野長政・杉原家次をすえた。勝家や信孝らは秀吉のこれらの一連の行動を自らの政権樹立のためであると考え、激しく警戒し、敵意を抱いた。

各地の動き
この後双方とも周囲の勢力を自らの協力体制に持ち込もうと盛んに調略を行うが、北陸の柴田氏の後方にある上杉景勝や信孝の地盤である美濃の有力部将・稲葉一鉄が羽柴秀吉になびくなど、やや秀吉に有利な状況にあった。一方で勝家は四国の長宗我部元親や紀伊の雑賀衆を取り込み、特に雑賀衆は秀吉の出陣中に和泉岸和田城などに攻撃を仕掛けるなど、後方を脅かしている(なお、おそらくこの際の岸和田城攻防戦が伝説化され、大蛸に乗った法師が雑賀・根来衆を追い払ったとする蛸地蔵伝承へと変化した)。

11月、勝家は前田利家・金森長近・不破勝光を秀吉のもとに派遣し、秀吉との和睦を交渉させた。これは勝家が北陸に領地を持ち、冬には雪で行動が制限されることを理由としたみせかけの和平であった。秀吉はこのことを見抜き、逆にこの際に三将を調略したと見られる。

12月2日(12月26日)、秀吉は毛利氏対策として山陰は宮部継潤、山陽は蜂須賀正勝を置いた上で、和睦を反故にして大軍を率いて近江に出兵、長浜城を攻撃した。北陸は既に雪深かったために勝家は援軍が出せず、さらに勝家の養子でもある城将柴田勝豊は、わずかな日数で秀吉に降伏してしまった。さらに秀吉の軍は美濃に進駐、稲葉一鉄などから人質を収めるとともに、12月20日(1583年1月13日)には岐阜城にあった織田信孝を降伏させた。

翌天正11年(1583年)正月、伊勢の滝川一益が柴田勝家への旗幟を明確にして挙兵し、峯城や亀山城を落城させた。秀吉は諸勢力の調略や牽制もあり、一時京都に兵を退いていたが、翌月にはこれらへの攻撃を再開、2月中旬には峯城・亀山城と一益の本拠である長島城を攻撃し、亀山城は3月3日(4月24日)に開城した。

一方で越前・北ノ庄城にあった柴田勝家は雪のため動けずにいたが、これらの情勢に耐え切れず、ついに2月末、残る雪をかきわけつつ近江に向けて出陣した。

合戦
布陣
3月12日(5月3日)、勝家は前田利家、佐久間盛政ら3万の軍勢を率いて近江国柳ヶ瀬に到着し、布陣を完了させた。秀吉も直ちに兵を出し、3月19日(5月10日)には5万といわれる兵力を率いて木ノ本に布陣した。双方直ちに攻撃に打って出ることはせず、しばらくは陣地や砦を盛んに構築した(遺構がある程度現在も残る)。3月27日(5月18日)、戦線の膠着もあり秀吉は一部の軍勢を率いて長浜城へ帰還した。

美濃返し
4月16日(6月6日)、一時秀吉に降伏していた織田信孝が滝川一益と結んで再び挙兵して岐阜城下へ進出した。秀吉は翌4月17日(6月7日)直ちに美濃に進軍するも、揖斐川の氾濫により大垣城に入った。秀吉の軍勢が多く近江から離れたのを好機と見た勝家は部将・佐久間盛政の意見具申もあり、4月19日(6月9日)、盛政に直ちに大岩山砦を攻撃させた。大岩山砦を守っていたのは中川清秀であったが、耐え切れず陥落、中川は討死、さらに岩崎山に陣取っていた高山右近を攻撃、右近も支えきれずに退却し、木ノ本の羽柴秀長の陣所に逃れた。この成果を得て勝家は盛政に撤退の命令を下したが、再三の命令にもかかわらず盛政はこれを拒否、大岩山などに軍勢を置き続けた。

4月20日(6月10日)、劣勢であると判断した賤ヶ岳砦の守将、桑山重晴も撤退を開始する。これにより盛政が賤ヶ岳砦を占拠するのも時間の問題かと思われた。しかしその頃、時を同じくして船によって琵琶湖を渡っていた丹羽長秀が「一度坂本に戻るべし」という部下の反対にあうも機は今を置いて他に無いと判断し、進路を変更して海津への上陸を敢行した事で戦局は一変。長秀率いる2000の軍勢は撤退を開始していた桑山重晴の軍勢とちょうど鉢合わせする形となるとそれと合流し、そのまま賤ヶ岳周辺の盛政の軍勢を撃破し間一髪の所で賤ヶ岳砦の確保に成功する。

更に同日、大垣城にいた秀吉は大岩山砦等の陣所の落城を知り、直ちに軍を返した。14時に大垣を出た秀吉軍は木ノ本までの丘陵地帯を含む52kmを僅か5時間で移動した。この急激な行軍速度を成功させた理由については諸説あるが、あらかじめ沿道に松明を点け、さらに食事の補給個所も用意もさせていたという。僅かな時間で帰還した秀吉の大軍に驚いた佐久間盛政は同深夜に撤退を開始するものの、翌日の未明に秀吉らの大軍に強襲された。盛政の軍が善戦したために秀吉は盛政の救援に向かっていた柴田勝政に攻撃対象を変更、この勝政の軍に盛政が逆に救援し、激戦となった。

ところがこの最中、茂山に布陣していた柴田側の前田利家の軍勢が突如戦線離脱した。このため利家と対峙していた軍勢が柴田勢への攻撃に加わった。さらに柴田側の不破勝光・金森長近の軍勢も退却したため、佐久間盛政の軍を撃破した秀吉の軍勢は柴田勝家本隊に殺到した。多勢に無勢の状況を支えきれず勝家の軍勢は総崩れし、ついに勝家は越前・北ノ庄城に向けて退却した。

合戦後
勝北ノ庄城に逃れるものの、4月23日(6月13日)には前田利家を先鋒とする秀吉の軍勢に包囲され、翌日に夫人のお市の方らとともに自害した。また佐久間盛政は逃亡するものの捕らえられて斬首され、首は京の六条河原でさらされた。また、柴田勝家の後ろ盾を失った織田信孝や滝川一益には抵抗する力もなく、翌月に両者とも降伏し、まもなく信孝は切腹、一益は剃髪・出家させられた。

この合戦の結果によって、多くの織田氏の旧臣が秀吉に接近、臣属するようになった。また、合戦終了の2日後の4月25日(6月15日)に秀吉は中国地方の戦国大名・毛利輝元の重臣・小早川隆景に書簡を送り、自軍の勝利に終わったことを報告するとともに、中立状態にあった毛利氏の自らへの服属を暗にうながした。戦後処理終了後、秀吉はまもなく畿内に大坂城の築城を開始し、また同年5月には朝廷から従四位下参議に任命された。また、秀吉のもとに徳川家康・上杉景勝・毛利輝元・大友義統など各地の戦国大名が相次いで使者を派遣し、戦勝を慶賀し親交を求めたことも秀吉の畿内における権力掌握を象徴した。

賤ヶ岳の七本槍
秀吉方で功名をあげた兵のうち以下の7人は後世に賤ヶ岳の七本槍(しずがたけ の しちほんやり)と呼ばれる。実際に感状を得、数千石の禄を得たのは桜井佐吉、石川兵助一光も同様である。7人と言うのは後の語呂合わせで(ただし彼らが挙げたとされる手柄は勝利が確定した後の追撃戦によるもののみであり、一番手柄も大谷吉継、石田三成らの先駆衆と呼ばれる武士達に与えられている)後の豊臣政権において大きな勢力をもったが、譜代の有力な家臣をもたなかった秀吉が自分の子飼いを過大に喧伝した結果ともいえる。福島正則が「脇坂などと同列にされるのは迷惑だ」と言った、加藤清正も「七本槍」を話題にされるのをひどく嫌ったなどの逸話が伝えられており、当時から「七本槍」が虚名に近いという認識が広まっていたと推定される。

脇坂氏を除く大半が徳川政権になってからは御家取り潰しなど苦難に遭った。

福島正則(1561年 - 1624年)
加藤清正(1562年 - 1611年)
加藤嘉明(1563年 - 1631年)
脇坂安治(1554年 - 1626年)
平野長泰(1559年 - 1628年)
糟屋武則(1562年 - 1607年)
片桐且元(1556年 - 1615年)

2009年01月20日

物理学(ぶつりがく、Physics)

物理学(ぶつりがく、Physics)は、自然科学の一分野である。自然界に見られる現象には、人間の恣意的な解釈に依らない普遍的な法則があると考え、自然界の現象とその性質を、物質とその間に働く相互作用によって理解すること(力学的理解)、および物質をより基本的な要素に還元して理解すること(原子論的理解)を目的とする。化学、生物学、地学などほかの自然科学に比べ数学との親和性が非常に強い。

古代ギリシアの自然学にその源があり、"physics"という言葉も、元々は自然についての一般的な知識の追求を意味しており、天体現象から生物現象までを含む幅広い概念だった。現在の、物理現象のみを追求する"physics"として自然哲学から独立した意味を持つようになったのは19世紀からである。

物理学の古典的な研究分野は、物体の運動、光と色彩、音響、電気と磁気、熱、波動、天体の諸現象(物理現象)である。

物理学では物理現象を微視的な視点と巨視的な視点とから研究する。

微視的な視点の代表的なものは素粒子物理学で、自然界に存在するさまざまな物質が分子や原子、電子といった種類の限られた基本要素の組み合わせによって構成されていることを突き止めてきた。素粒子物理学は核子よりさらに基本的な要素であるクォークが存在することを解明し、さらにもっと基本的な要素であるストリングなどが研究されている。また、こうした物質要素の間に働く力が、重力、電磁気力、弱い力、強い力(又は核力)の4種類の力に還元できることも明らかにされてきた。現在知られている相互作用は以上の4つのみである。

巨視的な視点からは、液体や気体、熱エネルギー、エントロピー、波といった巨視的な物理現象が研究される。こうした巨視的現象も原理的には無数の粒子の微視的現象の積み重ねの結果であると考えられているが、構成粒子数が極端に多いためすべての素過程を記述して、そこから巨視的な現象を導くことは事実上不可能である。一方、こうした巨視的現象には構成粒子の従う法則とは関係なく、物質の巨視的な振る舞いを支配する別個の法則が存在するように見える(スケーリング_(物理学))。例えば、水や雲、蜂蜜といった液体は、原子レベルにさかのぼらなくても液体として同じ法則に従って振る舞い、それらの物質的な特性の違いは粘性のような巨視的なパラメータとして表される。

熱力学や流体力学はそうした巨視的現象の法則からなる独立した物理学上の理論体系である。ここで注意しなければならないのは熱力学や流体力学はそれらの適用範囲においては、他の理論から完全に閉じた理論体系として存在していて、微視的現象を記述する量子力学の下位理論ではないことである。
リクエ ロジック ヒエラル ピーピーエ ラチェット カクシダ インタレ おおは ビジョ ラック プラム 菜の花 さとうき ビルボ ジュース ドウダ ぐぁば ラディ ロープ キャデ ブラッ かかお シューズ 総合ツタ ドクトル かじか オガタ ハルニレ シンプレ スカート あくふ スペルマ ロット モレーン キャッ スプリン たいめし支 テンソ モー シニフィ オウツ ファーザー ヒドラ レッドス ばらいろ ルビ ガーナイト コペン ワエロ フィス

現代の物理学は巨視的な現象を構成する実在の物質は究極的にはすべて微視的な素粒子から構成されると考えるので、巨視的現象の理論と微視的現象を記述する量子力学とのをつなぐ理論や現象も物理学の重要な研究テーマのひとつである。一般的にこの分野では統計物理学と呼ばれる強力な手法が使われる。ルートヴィッヒ・ボルツマンらによって開発されたこの手法は構成粒子の振る舞いを統計的に処理することによって巨視的現象と結びつけるものである。古典力学の範囲内では現象を確率的に扱うことの正当性が常に問題とされてきた。量子力学の登場によって確率的扱いの根拠を量子力学に求めることが可能になったが、量子力学を出発点として統計物理学を構築する試みは、いまだ完成したとは言えない。

物理学では、理論やモデルを数式として表現することが多い。これは、自然言語で記述するとどうしても厳密さに欠け、定量的な評価や複雑な推論をすることが難しいためである。数学は非常に強力な記号操作体系であるため、推論を一連の計算として実行することが可能なことと、複雑なモデルを正確・簡潔に表現することに適している。このように言語としての数学は、物理学を記述するのに適した特性を備えているが、学問としての物理学と数学は扱う対象も方法論も異なる。